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本ブログは、医療空間における権力構造や、そこに生じる心理的な嫌悪感・ざわつき等を分析・考察するものです。特定の医療機関や従事者を非難・攻撃するつもりはありませんが、記事の性質上、医療現場の生々しい実態や直接的な表現が含まれる場合があります。ご自身の心身の状況に合わせて、無理のない範囲で閲覧をご判断ください。詳しくはサイトポリシーをご一読ください。
こんにちは、御簾納です。
以前の記事で、内診室に響く「カチャカチャという金属音」が、女性をモノへと切り替えるスイッチとして機能しているというお話をしました。今回は、その音を鳴らしている器具そのものに焦点を当ててみたいと思います。
日本の婦人科において、膣を押し広げて内部を観察するために最も一般的に使用されている金属製の器具、通称「クスコ(クスコ式腟鏡)」。
アヒルの嘴(くちばし)のような形をしたこの冷たい金属の塊は、パステルカラーの椅子の向こう側で、女性の最もデリケートな部位を物理的かつ強制的にこじ開けるための、絶対的な医療ツールです。
多くの女性が、あの冷たい金属が挿入され、ネジを回されて「カチッ」と固定される瞬間に、えも言われぬ恐怖と、人間としての尊厳を削り取られるような痛々しさを感じると言います。
実は、この器具に対する根源的な恐怖は、単なる物理的な違和感だけが理由ではありません。空間社会学、そして医療史の観点から見ると、あの金属器具の根底には、弱者を徹底的に「モノ(実験台)」として搾取してきた、極めて暴力的な歴史が脈々と流れているのです。
この器具そのものを考案したのは、19世紀フランスの外科医、エドゥアール=ガブリエル・クスコです。名前は、そこから来ています。
ただ、私が書きたいのは、設計者の話ではありません。この器具を使う診察——女性の身体の内部を、器具で開いて、見る——という行為そのものが、どこで確立されたのかという話です。
19世紀のアメリカに、「近代婦人科の父」と呼ばれた医師がいます。J・マリオン・シムズ。
彼は現代の婦人科学の基礎を築いた偉大な功労者とされていますが、その技術と器具は、いかにして生み出されたのでしょうか。
シムズは、自身の家の裏庭に小さな病院を建て、近隣の農園主のもとから送られてきた黒人奴隷の女性たちを実験台にして、膣の手術法や器具の開発を繰り返しました。彼女たちを住まわせ、食べさせる代わりに、手術する権利を得るという取り決めだったと言われています。
記録に残っている女性の一人は、約30回、手術台に乗せられています。
麻酔がどう扱われたかについては、史料の解釈が分かれています。彼が手をつけ始めた1845年は、エーテル麻酔が公開される前年でした。
ただ、その論争は、この話にとって本質的ではないと思います。麻酔があろうとなかろうと、動かない一点があるからです。
奴隷である彼女たちに「拒否権」はありませんでした。彼女たちの身体は、白人男性の医師にとって、文字通り「医学を発展させるための生きたマテリアル(肉の塊)」としてのみ消費されたのです。
あの金属は、フランス生まれです。この裏庭とは、何の関係もありません。
しかし、器具を挿入し、内部を開いて、見る。その一連の動作を「診察」という形式として確立させた場所は、あの裏庭でした。血が付いているのは、金属ではありません。
現代の婦人科医療は、間違いなく多くの女性の命を救っています。その恩恵を否定するつもりはありません。
しかし、あの冷たい金属音は、医療発展の陰で同意を持たずに客体化されてきた過去の女性たちの記憶と、どこかで繋がっているように思えてなりません。
現代の女性たちが、パステルカラーの台の上でクスコを挿入される時に感じるあの得体の知れない絶望感は、決して自意識過剰などではありません。それは、あの診察が歴史的に内包している「女性の身体の客体化(モノ扱い)」という本質的な冷徹さを、本能的に感知しているからではないでしょうか。
医療者は、自らが行っている診察の歴史的背景を理解し、現代において患者が抱く見えない恐怖に対して、より一層の倫理観と配慮をもって向き合うことが求められているのだと私は考えます。


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