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本ブログは、医療空間における権力構造や、そこに生じる心理的な嫌悪感・ざわつき等を分析・考察するものです。特定の医療機関や従事者を非難・攻撃するつもりはありませんが、記事の性質上、医療現場の生々しい実態や直接的な表現が含まれる場合があります。ご自身の心身の状況に合わせて、無理のない範囲で閲覧をご判断ください。詳しくはサイトポリシーをご一読ください。
こんにちは、御簾納です。
今回から4回にわたり、婦人科という空間において、女性が最も深い心理的負荷と尊厳の剥奪を経験するシチュエーションについて考察します。それは「医学生や研修医による、内診の見学(臨床実習)」です。
以前、カトリーヌ・ブレイヤ監督の映画『ロマンスX』において、主人公マリーが複数の医学生に内診を取り囲まれ、観察されるシーンについて触れました。あの冷徹な描写を「欧米は身体の露出にオープンだからだ」と片付けるのは早計です。欧米の医療においても、婦人科の内診見学は極めて高い倫理的ハードルを持つデリケートな問題として議論され続けています。
ブレイヤ監督があのシーンをあえて容赦なくスクリーンに焼き付けたのは、「一人の患者の最もプライベートな部位を、複数の目で取り囲んで観察する」という行為が、いかに人間の主体性を剥ぎ取り、単なる「学習用のマテリアル(肉の塊)」へと還元してしまう極限の客体化のプロセスであるかを告発するためでした。
日本の現実に目を向けてみましょう。
パステルカラーの電動内診台。ただでさえ、スイッチ一つで強制的に脚を開かされ、抗うことのできない無力状態に置かれるあの椅子の上で、担当医だけでなく、見ず知らずの若い医学生(特に男性学生)たちに、自らの最も無防備な患部を観察の目に晒される。
想像してみてください。いくら「未来の医療を支えるための教育」という絶対的な大義名分があったとしても、台の上にいる女性にとって、そこに伴う屈辱とプライバシーの剥奪は筆舌に尽くしがたいものです。
一人の患者の最もプライベートな部位を、複数の目で取り囲んで観察する。この行為は、人間の主体性を完全に剥ぎ取り、単なる「学習用のマテリアル(肉の塊)」へと還元してしまう、空間が生み出す構造的な抑圧に他なりません。
私がここで問いたいのは、特定の医療関係者を非難することではなく、この「教育」という大義名分のもとに、医療システムが患者のプライバシーや心理的負担を軽視する構造になっていないか、という空間設計上の欠陥です。
未来の医師を育てることは社会にとって不可欠です。しかし、それがパステルカラーの椅子の上で絶対的な弱者となっている女性に、過度な精神的ダメージを強いる構造の上で成り立っているのだとすれば、その空間のルールは根本から見直されるべきではないでしょうか。
次回は、この残酷な空間において、医療側が無自覚に依拠している「同意」というプロセスの危うさ(または構造的な矛盾)について解剖します。


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