【No.019】海を越えた内診室(前編)――欧米に「パステルカラーの椅子」と「カーテン」がない理由

海外・比較文化論

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こんにちは、御簾納です。

このブログではこれまで、日本の婦人科における「電動内診台」や「カーテン」がもたらす権力構造について考察してきました。しかし、そもそもこれらの設備は、世界共通の「医療のスタンダード」なのでしょうか。

今回は少し視点を広げ、日本と欧米(主に北米やヨーロッパ)の診察スタイルの決定的な違いについて考えてみたいと思います。

結論から言うと、日本の婦人科で当たり前のように使われているあの「分厚いカーテン」と「脚が自動で開く電動内診台」は、世界的に見れば極めて特異な、日本独自のガラパゴス的な発展を遂げたシステムです。

欧米の婦人科クリニックの多くには、患者と医師を視覚的に分断するカーテンは存在しません。

そして診察台も、日本のものとは全く異なります。多くの場合、それは平らな診察ベッドであり、足元に「Stirrups(あぶみ、足乗せ台)」と呼ばれる器具がついているだけのシンプルな構造です。

患者は自らの足で歩いてベッドに横たわり、医師としっかり目線を合わせ、言葉を交わしながら、自らの意思で足を乗せ、腰の位置を調整します(もちろん下半身には、ペーパータオルや布などがふんわりとかけられ、最低限の配慮はなされます)。

日本の電動内診台のように、スイッチ一つで患者の身体が宙に浮き、機械の力で強制的に脚を外側に捻り開かれるような「物理的な強制力」は、そこにはありません。

なぜ、欧米には電動内診台とカーテンがないのでしょうか。

それは、欧米の医療思想の根底に、「患者の身体の主導権(主体性)は、いかなる時も患者自身にあるべきだ」という、強固なインフォームド・コンセントの概念があるからです。

医師が患者の顔(目)を見ずに、あるいは患者の視界を物理的に遮断した状態で、他者の身体の最もプライベートな部分に触れること。これは西洋の倫理観において、医療行為というよりも「患者の尊厳を奪う、極めて暴力的な行為」として認識されます。

相手の顔を見ながら「これから〇〇をしますよ、痛くないですか?」と対話を続け、患者が自らの意思で身体を開くプロセスを共有すること。それが、医療における「同意」の最低条件なのです。

一方、日本のシステムはどうでしょうか。

あの電動内診台は、医療機器としての機能性や効率性、そして「医師にとっての作業のしやすさ」においては、間違いなく世界最高峰の技術の結晶です。しかし、そこからは「患者の主体性」がすっぽりと抜け落ちています。

私たちは「技術的で効率的であること」を無条件に素晴らしいことだと信じがちですが、身体のケアにおいては、効率化がそのまま「モノ扱いへの転落」に直結する危険性を持っています。

次回(後編)は、この物理的な違いの根底にある「羞恥心」に対する日欧の思想の違いについて、さらに深掘りしてみたいと思います。

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