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本ブログは、医療空間における権力構造や、そこに生じる心理的な嫌悪感・ざわつき等を分析・考察するものです。特定の医療機関や従事者を非難・攻撃するつもりはありませんが、記事の性質上、医療現場の生々しい実態や直接的な表現が含まれる場合があります。ご自身の心身の状況に合わせて、無理のない範囲で閲覧をご判断ください。詳しくはサイトポリシーをご一読ください。
こんにちは、御簾納です。
熊田曜子氏の事例を通じて、現実の女性が「実際の診察風景」を公開した際の社会の拒絶反応について考えました。では、社会を映す鏡であるはずの「メディア」は、普段この空間をどのように描いているのでしょうか。
例えば、プライムタイムに放送される産婦人科を舞台にした感動的な医療ドラマ(『コウノドリ』などが代表的です)を思い浮かべてみてください。
そこでの診察シーンは、極めて不自然なまでに「漂白(サニタイズ)」されています。カメラが映し出すのは、真剣な眼差しでエコー画面を見つめる医師の顔と、モニターに映る胎児、そして「カーテンのこちら側」でホッとしたり不安になったりする女性の顔のアップだけです。
お気づきでしょうか。そこには、女性が座らされているはずの「脚を大きく開かされる電動内診台(パステルカラーの椅子)」という、物理的で強制的な装置そのものが、徹底的に画面から排除されているのです。
テレビドラマは、あの機械が持つ生々しさや、女性が強いられる物理的な無力感を「映してはならないもの」として注意深くフレームアウトさせます。そして、診察室を「お腹の中の赤ちゃんと対話する、美しく感動的な空間」というファンタジーへと綺麗に書き換えてしまうのです。
もちろん、テレビには放送倫理があり、過剰な露出を避けるのは当然のことです。しかし、この「徹底した不可視化」がもたらす副作用は軽視できません。
テレビが提示する「綺麗に漂白された診察風景」しか知らない男性や非当事者たちは、実際の現場で女性がいかに物理的な恐怖や羞恥心と闘っているかを、想像することすらできなくなります。
「ドラマで見る限り、ただ横になってエコーを当てられているだけじゃないか。何をそんなに怖がることがあるんだ」。
そうした無理解が、現実の女性たちの痛みを「自意識過剰」と切り捨てる土壌を作っているのです。テレビメディアの過剰な配慮は、結果として、密室の不条理を覆い隠す巨大な「目隠し」として機能してしまっています。


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