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本ブログは、医療空間における権力構造や、そこに生じる心理的な嫌悪感・ざわつき等を分析・考察するものです。特定の医療機関や従事者を非難・攻撃するつもりはありませんが、記事の性質上、医療現場の生々しい実態や直接的な表現が含まれる場合があります。ご自身の心身の状況に合わせて、無理のない範囲で閲覧をご判断ください。詳しくはサイトポリシーをご一読ください。
こんにちは、御簾納です。
これまで、婦人科という「隠された空間」における権力構造や、メディアの欺瞞、そしてパステルカラーの内診台がもたらす無力化について、私なりの空間社会学の視点から考察を重ねてきました。
一つのテーマについて語るべきことは、おおよそ語り尽くしたと感じています。このブログの定期的な更新は、今回をもって一つの区切りとさせていただきます。
当事者になり得ない一人の男性が、女性たちにとって最もデリケートな「聖域」に土足で踏み込み、その構造を理詰めで解剖して言語化すること。それがどれほどの反発や戸惑いを生むか、開設当初からある程度は覚悟していました。
実際に、私の直截な言葉選びに対して、不快感や「侵犯されている」という嫌悪を抱かれた方も少なくなかったはずです。
しかし、私がこの孤独な作業を止めなかったのは、社会が「配慮」や「デリケート」という美しい言葉で覆い隠してきたあの分厚いカーテンの向こう側にこそ、私たちが向き合うべき最大の病巣があると確信していたからです。
患者の羞恥心を守るという名目で設置されたカーテンは、決して女性を守ってはいませんでした。それは女性を「声なきモノ」として密室に隔離し、男性社会がその過酷な現実を「知らなくていいこと」として黙殺するための、都合の良い目隠しとして機能していたのです。
私がパステルカラーの椅子による客体化や、メディアの事勿れ主義を執拗なまでに書き連ねたのは、この「目隠し」を剥ぎ取り、社会の真ん中にその不条理を晒し出すための、私なりの闘いでした。
この一連の考察を通じて、私なりに辿り着いた「ファイナルアンサー」があります。
それは、「社会のまなざしが成熟しない限り、女性の身体は永遠に解放されない」という事実です。
私たちが本当に解体すべきは、物理的なカーテンではありません。女性の身体を「神聖な奇跡」として美化するか、「卑俗な消費の対象」として搾取するかの二極でしか捉えられない、この社会の歪んだまなざしそのものです。
いつの日か、日本中のクリニックからあの分厚いカーテンが取り払われる日が来ることを、私は願っています。
それは決して、無遠慮に身体を晒すためではありません。医師と患者が、一人の人間同士として真っ直ぐに顔を見合わせ、フラットな対話を通して「彼女自身の身体の主導権」を彼女の手に返し続けるためです。その時初めて、あの密室は恐怖の空間から、真の意味での「ケアの空間」へと生まれ変わるのでしょう。
私の投げかけた言葉が、その未来に向けたほんの僅かな波紋になれば、社会学者としてこれ以上の本望はありません。
このブログは、一つの記録としてこのまま残しておきます。
更新は止まりますが、もし過去の記事を読んで何か感じることがあれば、いつでもコメントやダイレクトメッセージをお寄せください。批判でも、共感でも構いません。皆様の言葉一つ一つが、この社会を考えるための貴重な光になります。
最後まで私の思索にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
またいつか、別の空間の扉の前で、お会いしましょう。

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