【No.037】ポルノが直視できなかった密室――私の研究の原点と「リアル」の限界

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本ブログは、医療空間における権力構造や、そこに生じる心理的な嫌悪感・ざわつき等を分析・考察するものです。特定の医療機関や従事者を非難・攻撃するつもりはありませんが、記事の性質上、医療現場の生々しい実態や直接的な表現が含まれる場合があります。ご自身の心身の状況に合わせて、無理のない範囲で閲覧をご判断ください。詳しくはサイトポリシーをご一読ください。

こんにちは、御簾納です。

今回は、私がなぜ「婦人科という空間」にこれほどまでに執着し、自費で研究を重ねてこのブログを開設するに至ったのか。その「原点」とも言えるあるエピソードについてお話ししたいと思います。

かつて私は、空間の使われ方や視線の構造に関するリサーチ業務の一環で、あるアダルトビデオ(AV)の制作関係者から話を伺う機会がありました。

「裸」というコンテンツを扱う上で、およそ人間のあらゆるプライバシー領域に遠慮なく踏み込むポルノグラフィ業界。私はふとした興味から、彼らに「そんなあなた方から見ても、絶対に踏み込めない『禁足地(タブー)』のような空間は存在するのか?」と質問しました。

すると彼は、少し考えた後にこう答えたのです。

「婦人科の内診を、ひたすらリアルに盗撮するシチュエーションです」と。

もちろん、AVのジャンルとして「婦人科」や「女医」をテーマにした作品は無数に存在します。しかし、それらは診察室という舞台を借りているだけで、すぐに性行為へと移行する「ファンタジー」に過ぎません。

彼が語ったのは、かつてあるインディーズメーカーが挑んだ、性行為などを一切排除し、ただひたすらに「本物の婦人科診察のリアリティ」だけを追求した擬似盗撮作品のことでした。

パステルカラーの台に乗せられ、脚を開かされ、無機質な金属器具を挿入される女性の、一切の虚飾のない生々しい様子。そのメーカーはそれをエンターテインメントとして世に出そうとしましたが、結果としてその作品は、マニアックな層にすら全く受け入れられなかったそうです。

私は強い衝撃を受けました。

ポルノの世界では、トイレや更衣室の盗撮といったジャンルは定番として消費されています。どちらも他人のプライベートな領域を覗き見するという点では同じはずです。なぜ、トイレの盗撮は消費できて、リアルな内診の盗撮は拒絶されたのでしょうか。

その理由は、そこに映し出されている「女性の姿」の決定的な違いにあります。

トイレや更衣室で盗撮される女性は、あくまで「日常を生きる主体的な人間」です。しかし、リアルな婦人科の診察台の上にいる女性は違います。彼女たちは医療という強大なシステムによって、主体性を完全に剥ぎ取られ、ただの「処理されるべき客体(肉の塊)」へと還元されています。

そこには、ポルノが成立するためのエンターテインメントの要素が入り込む余地など1ミリもありません。極限までシステマチックに人間性を排除した「冷酷で機械的な現実」が、ポルノのファンタジーを完全にフリーズさせてしまったのです。視聴者の男性たちは、ただひたすらに事務的なその光景に「興醒め(退屈)」し、目を背けたのでしょう。

人間のあらゆる恥部をエンターテインメントとして消費するポルノ業界でさえ、リアルな婦人科の密室が持つ『システマチックな無力化』の前では、ポルノを成立させることができなかった。その事実を知った時、私は社会が「配慮」というカーテンで必死に隠そうとしているあの空間の構造的な異常さを、空間デザインの視点で言語化しなければならないという強い使命感に駆られたのです。

これが、私がこの果てしない空間社会学の研究に足を踏み入れ、このブログを綴り始めた原点です。

あらゆる欲望がひれ伏す究極の禁足地。私たちは、まだあの密室の本当の姿を直視できてはいないのです。

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