【No.031】密室の多眼化(2)――「無断見学」の恐怖と、同意という名の同調圧力

権力と医療倫理

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本ブログは、医療空間における権力構造や、そこに生じる心理的な嫌悪感・ざわつき等を分析・考察するものです。特定の医療機関や従事者を非難・攻撃するつもりはありませんが、記事の性質上、医療現場の生々しい実態や直接的な表現が含まれる場合があります。ご自身の心身の状況に合わせて、無理のない範囲で閲覧をご判断ください。詳しくはサイトポリシーをご一読ください。

こんにちは、御簾納です。

前回に続き、「内診見学」という究極の客体化について考察します。

大学病院や総合病院での診療において、患者はしばしば「教育機関であるため、医学生が見学に同席することがあります」という一文にサインを求められます。しかし、この「同意」は本当にフラットなものでしょうか。

病気への不安を抱え、ただでさえ医療者という圧倒的強者に命と身体を預けている弱者(患者)が、その場で「見学は嫌です」と毅然と拒否することは、極めて困難です。この同意は、構造的な同調圧力によって半ば強制的に引き出されたものに過ぎません。

しかし、さらに言語道断なのは、事前の十分な説明や断りすらないまま行われる「無断見学」です。

ネット界隈で語られる女性たちの体験記を観察すると、このような声が後を絶ちません。「いつもの信頼している医師だと思って内診台に上がり、脚を開いた瞬間、カーテンの向こう側に複数の若い男性の気配とヒソヒソ声がした」。

そうしたネット上の声から見えてくるのは、この時女性たちが感じているのが、単なる不快感を超えた「吐き気を催すほどの恐怖と人間不信」であるということです。

自分の身体が、自分の与り知らないところで、勝手に見学の対象にされている。信頼していたはずの医師が、自分の身体を「後輩たちへの教材」として無断で提供し、消費している。これは空間社会学的に見れば、密室の権力非対称性を利用した「患者の主導権の完全な剥奪」に他なりません。

男性社会は「減るものじゃない」「医療なのだから割り切れ」と冷笑するかもしれません。しかし、もし自分の妻が、パステルカラーの椅子の上で脚を開かされ、無断で若い男たちに観察対象として消費されていたとしたら、彼らは同じ台詞を吐けるでしょうか。

見学という行為は、たとえ同意があっても女性の心に強い負荷をかけます。無断であれば、それはもはやトラウマを植え付ける深刻な心理的侵襲と何ら変わりません。

次回は、この見学というシステムが、時に「医療」という枠組みすら越えて、女性の日常を破壊する身の毛もよだつ事例について触れたいと思います。

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