【No.022】メディアにおける身体の境界線(後編)――無修正の現実と、「綺麗な蝶」という暴力

メディアと表象

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本ブログは、医療空間における権力構造や、そこに生じる心理的な嫌悪感・ざわつき等を分析・考察するものです。特定の医療機関や従事者を非難・攻撃するつもりはありませんが、記事の性質上、医療現場の生々しい実態や直接的な表現が含まれる場合があります。ご自身の心身の状況に合わせて、無理のない範囲で閲覧をご判断ください。詳しくはサイトポリシーをご一読ください。

こんにちは、御簾納です。

前回はドイツのコメディ番組を例に、西洋のフラットな身体表現について語りました。今回はその「ありのままを映す」というアプローチが極端な形で現れている、現代のネットメディアの事例を取り上げます。

YouTubeなどの動画プラットフォームでは、世界中の医療従事者が情報発信を行っています。中でも東南アジア、例えばベトナムなどの医師による産婦人科系の医療チャンネルには、日本の感覚では信じられない動画が存在します。

それは、モザイクやぼかしなどの処理を一切施さず、実際の診察風景や、内診台に乗って大きく開かれた女性の生々しい患部を「無修正」でありのままに配信している動画です。

動画をアップロードした医師側の意図は、おそらく「これが医療のありのままの現実である」という純粋な医学的啓蒙や、自らの技術の記録でしょう。しかし、私が真に戦慄したのは、その無修正の動画群に向けられた「コメント欄の反応」でした。

そこには、医学的な関心など微塵もない、匿名の人々(主に男性たち)からの下世話な言葉が溢れ返っていました。

医療行為として開かれた女性の患部に対して「綺麗な蝶だ(Beautiful butterfly)」と、無理やりポルノ的な文脈に引きずり下ろして消費する者。あるいは、色や形について「グロテスクだ」「気持ち悪い」と無遠慮に品定めし、嘲笑する者。

そこにあるのは、台の上で不安に耐えているであろう一人の女性(患者)に対する、配慮や想像力の完全な欠如です。ただの「見世物」として、安全圏から石を投げ、性的に搾取するだけの、あまりにも残酷なまなざしの暴力が吹き荒れていました。

この地獄のようなコメント欄は、メディアが「無修正の現実」を提示することの限界を浮き彫りにしています。

発信者側がどれほど純粋な医療目的であったとしても、受け手である社会全体の「まなざしのリテラシー」が成熟していなければ、その映像は容易にポルノやフリークス(見世物)へと転落してしまうのです。

日本の医療ドラマが診察室を綺麗に漂白し、現実のクリニックが分厚いカーテンで女性の下半身を隠蔽しているのは、ある意味で、日本社会に蔓延するこの「残酷なまなざし」から患者を守るための、不可欠な防衛策であるとも言えます。社会が「綺麗な蝶だ」と消費するような未成熟な状態である以上、隠すことでしか女性の尊厳は守れないという哀しいジレンマです。

しかし、隠し続ければ根本的な解決になるわけではありません。隠せば隠すほど、あの密室はより強固なタブーとなり、患者の孤独は深まります。

私たち社会は、女性の身体の現実を「ただの医療の対象」としてフラットに受け止める理性を、いかにして獲得していくべきか。あの無修正動画に群がるおぞましいコメント群は、私たち自身に突きつけられた鏡でもあるのです。

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